ヘデのおうちストーリー

旦那様はせっかちにも千の風となり、子育ても卒業したヘデが2015年10月に平屋を建て替えました。その成り行きと現在の生活雑記を綴ります。ブログ超初心者です。

へでやにおける網戸の存在は・・・(^^;

雨がやんで、晴れ間がのぞいたので、窓ガラスを拭きました。
へでやでは、透明ガラスが4ヶ所あります。

西側和室です。
ここは当初、腰高窓で提案されていましたが、
パナホームさんのオープンハウスで見た雪見障子にへでが魅了されて
設計変更となりました。
雪見障子を開けたのは、数えるほどしかありませんね。(^^;


東側にあるダイニングの窓です。

ここは、腰高窓ですが、結構な横幅です。
朝日が入ってダイニングは、昼頃までとても明るいです。
でも、ここまで広くなくても良かったかなと思います。


そして南側のリビング、寝室の掃きだし窓です。

旧宅のリビングは、東側にあって、冬場は昼過ぎから日が陰りました。
その思いが強くて、思いっきり大きな窓となりました。
寝室もデッキに出られるように、
また外が見える、日が射す方がいいかなと思い掃きだし窓となりました。


どれも透明ガラスなので、風雨にさらされると、しっかり汚れが付きます。
へでは、頑張る掃除はイヤなので、短時間のチョイチョイ掃除です。
そのかわり、窓ガラスだと月に1、2回は拭くようにしています。
その観察記録?によると、短期間では、軒の深さは汚れにあまり影響はありません。
へでやは、切り妻屋根で東西の軒が南北のものより深いです。
和室と寝室の窓は同じ大きさで、軒は和室の方が深いのですが、
汚れにそれほどの違いはありません。
窓ガラスの汚れを大きく左右するのは、網戸の存在です!


へでやの網戸の網部分は黒色です。

旧宅のものはもっと薄い色だったように記憶しています。
黒色は汚れが目立たないし、見た目も落ち着いた感じです。
でもそれに騙されてはいけません!!
汚れは、きっちりついています。



汚れた網戸をそのままにしておくと、
雨風が網戸の汚れを窓ガラスにくっつけちゃうのです。( ̄_ ̄|||)
網戸の有無で、窓ガラスの汚れの違いは歴然です。
たいしたものだと感心しちゃいます。


旧宅で、旦那サマが居たときには、網戸は秋になったら洗って収納していました。
これはこれで、結構な手間でしたが、結婚以来のお決まりの作業だったので
ずっと続けていました。
洗剤をブラシにつけて洗う→ホースからの水ですすぐ→干す→収納を
夫婦で、ときには、子供たちも手伝ってやっていました。
そして、窓を開けるようになったら、網戸をセッティングして夏準備でした。
さすがに一人暮らしになると、この作業は消滅しました。(^-^;


そして今、改めてへでやの生活を振り返ってみると、
窓を開けるということが本当に少なくなっていることに気づきます。
冷暖房のお世話になる夏冬は、ほぼ開けません。
外の冷気、熱気を家の中に入れたくありません。
春は花粉の飛散が気になるので、極力開けません。
秋は・・・3シーズンの習性からか、やっぱりあまり開けませんね。
窓を開けて涼むというより、
秋春は、外気よりも家の中の気温の方が快適なのです。
積水ハウスさんのおかげでしょうね。(^-^)


24時間換気の影響も大きいと思います。
旧宅では、起床後、帰宅後はまず、窓を開けていましたが、
今はそれほどの必要を感じません。
・・・横着になっているだけかもしれませんが・・・・f^_^;
浴室の窓も閉めたままで、換気扇と24時間換気だけで支障なく過ごしています。


そうなると、網戸の役目は・・・
へでやでは、窓ガラスとカーテンを汚すだけの存在???

別荘公開レポート

台風に続いて、地震の被害と、一体どうなっているのでしょうか。( ̄□ ̄;)
被災された方々を思うと、胸が痛みます。
なのに、こんな記事をあげるのは不謹慎とは思うのですが、お許しください。


まだまだしつこく、夏の思い出レポートです。
よろしかったら、お付き合いください。
どこに行ってもやっぱりお家を見るのが好きなへでです。
今回は別荘です。
昭和3年にイタリア大使館の別荘として建てられ、
平成9年まで使われたものを整備して公開しているものです。
標高1270m、湖に面して建てられています。

内外装を杉の皮張りで仕上げていて、周りの風景に溶け込んでいます。
湖からの湿気は大丈夫なんでしょうか?
へでが行ったときには、外装を修理していました。f^_^;


間取り図です。

1階はパブリックスペース、2階はプライバシースペースです。
図では上が北で、湖に面しています。
避暑地なので、熱い陽射しを避けた間取りなのでしょうか?
2階の休憩室です。この部屋だけが南向きです。

木々に囲まれていて、直射日光が当たらないようになっています。
1番小さな部屋ですが、一人で過ごすのには、ぴったりのお部屋です。

こちらが湖に面している広縁です。
北向きですが、開口部が大きいので、明るいです。
それでいて、直射日光は入らない夏仕様です。
湖が一望できます。
広縁からベランダに出て、さらに降りて行くと湖になります。
船着場もありました。


1階のパブリックスペースの居間、食堂、書斎です。

間取り図でも分かるように、仕切り無しの大空間です。
開放感満点です。(-^〇^-)
木造でもこんなに広い空間が作れるのですね!
これにはびっくりしました。(^.^)
1階部分では、見学者は自由にソファや椅子に座れます。
休憩室では、飲み物やクッキーを買うことができます。
様々な杉の皮張りの模様をイタリア製生地のソファーに寛ぎながら見ました。


2階の寝室です。

建具も杉板です。壁紙を一切使っていません。
じゅうたん、カーテン、寝具、チェストが雰囲気を和らげています。
へでのイタリアのイメージとは異なるシンプルな空間です。


この地は明治中頃から昭和初期にかけて、多くの外国人別荘が建てられたそうです。
国際避暑地というのでしょうね。
今ほどではなくても、日本の高温多湿な夏は、外国人には堪えたことでしょうね。
エアコンなしでは、耐えられなかったことでしょう。
標高が高くて涼しい、豊かな自然環境の中での避暑地生活がしのばれます。


一般庶民とは隔絶した世界です。(^^;)


この夏は、仕事に忙しいムスメが旅行日程が十分取れない埋め合わせに
コンパクトでプチ奮発した旅行を計画してくれました。
日頃は夜討ち朝駆け状態のムスメにハラハラしていますが、
こうして毎年旅行に連れ出してくれるムスメに感謝です。
今年は、太っ腹にも旅行費用は全額出してくれました。
義父母、実母が元気でいてくれたことにも感謝です。


被災地に救援が届き、復旧が進むことをお祈りします。
へでもできることをしたいと思います。

お屋敷公開レポート

今年の夏は、お手軽なところをウロチョロしました。
やっぱりへではお家が好きです。
住宅展示場もいいですが、
人が住んで、使われた家の方が味がありますね。
ということで、今回もお付き合いください。
お宿に続いてのお家レポートです。^_^


今回は、お屋敷です。

敷地面積32500坪、建築面積1360坪、部屋数106です。すごいものですね。(+_+)
広さ的には名古屋城本丸御殿に負けませんね。
大正天皇(当時は皇太子)のご静養のために明治32年に造営されたそうです。
当時、全部新築されたわけではなく、いろいろな変遷をたどって
紀州徳川家中屋敷を当地の実業家の屋敷地に移築し、増改築を繰り返したようです。
実業家の元の敷地も7000坪あったそうですから、びっくりです‼️

お庭も広くて迷子になりそうです。
草取り、剪定を心配するへでは、所詮庶民です。(^^;

今の天皇陛下が終戦まで1年間ここで疎開生活をされたそうで、
防空壕も残っていました。

さすがに名古屋城本丸御殿のようなまばゆいような感じではありませんが、
静養するには落ち着いた感じです。
ご滞在が長引くと公務も入るので、パブリックな部分も少しありました。

ここで謁見をされたり、賓客を接待されたのでしょう。
天皇、皇后が使われた部屋は2割ぐらいで、残りは職員用だそうです。
大所帯ですね。移動も荷物も大変!これも庶民のへでの感想です。(^.^)
そしてやっぱり気になるのは、水回り。
何と公開されていました。(o^^o)
御湯殿です。古風な日本語です。^ ^

今は浴槽は撤去されているようです。外からお湯を運んだんでしょうか。
脱衣所もへでやの和室より広かったです。(^ ^)
そしてトイレも公開されていました。なかなかの太っ腹な管理体制です。

右下の写真は皇后エリアのトイレです。残りの方が天皇エリアのものです。
天皇の方は洋式、皇后の方は和式なんですね。どちらも畳敷きです。


江戸、明治、大正時代と三時代の建築様式をもつ木造和風建築が見られて
へではすこぶるご機嫌でした。♬^o^
現在は国の重要文化財に指定されています。
維持管理は大変でしょうが、
建築技術の継承という点からも引き継いでいってもらいたいと思いました。


近頃は皇室の方々もメディアによく出ていて、
何となく庶民のへでも親近感をもつようになりましたが、
こうした文字通りのお屋敷、別荘の規模を目の当たりにすると
雲の上の世界の方々なんだなと思いました。


どちらの世界もそれなりに苦労はつきものでしょうね。(ヘ。ヘ)