ヘデのおうちストーリー

旦那様はせっかちにも千の風となり、子育ても卒業したヘデが2015年10月に平屋を建て替えました。その成り行きと現在の生活雑記を綴ります。ブログ超初心者です。

亡父からの腕時計

年度末、仕事が忙しくて記事の更新ができなくて日が過ぎました。
仕事が忙しいのは、毎度のことですが、
今回は次年度の部署が、予想していた部署で1番避けたいところだったので
結構へこんでいます。( ̄_ ̄|||)
4月からのことを思うと憂鬱で
引き継ぎ業務の忙しさが一層ブルーです。(-_-)


で、今日は思いきって休みを取っちゃいました。
せめてもの抵抗です。(ちょっと空しいけれど・・・(^^;)


気分転換に亡父のことを少し。
父が亡くなってこの春で20年になります。
胃癌になって60代で、半年程の闘病でした。


父は農家の三男に生まれ、義務教育を卒業するとすぐに仕事につきました。
当時国鉄と言われていた今のJRです。
蒸気機関車の見習い技師で、窯焚きから始めたみたいです。
夏場には、かなり過酷な労働だったそうです。
満州鉄道からの職員を国鉄が引き取ったため、
窯焚き期間が通常より長く続いたのが辛かったと言っていました。
国鉄の運転士の学校で学んで、ようやく機関士になりましたが
やがて蒸気機関車が走らなくなり、
また、電車の方の勉強をしなくてはいけなかったようです。
義務教育しか受けていない父でしたが、
子供心に難しそうな本が置いてあるのを見ると
何だか誇らしく思っていました。


職場では、何度か声はかかったようですが、
出世することなく最後まで運転士を通しました。
そして、国鉄がJRに変わる際に早期退職してしまいました。


器用でフットワークの良い人で
棚はもちろん、出窓、物置、庭、デッキ造り、井戸掘り、水道工事等を
当たり前のようにこなしていました。
季節になるといつの間にか、扇風機が出され、ストーブが収納されていました。


オートバイやカメラが大好きで、嬉しそうに手入れをしていました。
また、家を増築して空いた土地が無くなると、
母の実家まで出かけていって、野菜作りをしていました。


元気なのだから、もう少し仕事を続けたら良いのにと思ったこともありましたが、
父の晩年の短さを思うと、
内孫、外孫を可愛がり、好きなことをすることができて良かったと心底思います。
父方の祖父は48歳、祖母は32歳で亡くなっているので、
父自身も長生きはできないと思っていたのかもしれません。

これは、父が永年勤続のご褒美にもらったものです。
多分ペアウオッチだと思うのですが、婦人ものしか実家に残っていませんでした。
父は退職後も長年使っていた懐中時計を愛用していました。
現役のときと同じように毎日時報で秒針まで合わせていました。


たんすの中にとじこめておくのもかわいそうに思い、
いつだったか、母からもらってへでがずっと使っています。
こうして改めて写真で見ると、年季が入っていますね~
ゼンマイ式で防水ではありません。(^^;
これまでに、分解掃除を2回していて、(うっかり水滴を入れてしまって・・・)
その修理のお値段でへでが満足できる時計が十分買えそうです。f^_^;
時計屋のおじさんによると、
こうした時計は電子時計よりは故障しにくいんだそうです。


この1年は、父のこの時計を励みにして頑張るしかなさそうです。
お父さん、不出来な娘を見守っていてくださ~い!


最後にへでやの春をどうぞ。

葉ぼたんさん、ご苦労様でした。アジサイさん、こんにちは(^-^*)/

殺風景だった木々にも春が訪れて来ました。

パンジーは少し株が大きくなり、
チューリップ、ヤマブキも、ようやく花をつけました。

近所の例のおじさんが消毒、除草にちょうど来てくださり、
「今日は休みか?」と
学校をサボっている子供に言うように言われてしまいました。(ヘ。ヘ)










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