ヘデのおうちストーリー

旦那様はせっかちにも千の風となり、子育ても卒業したヘデが2015年10月に平屋を建て替えました。その成り行きと現在の生活雑記を綴ります。ブログ超初心者です。

残されたものの行く末

ようやく花壇をリフレッシュしました。

水やりを頑張る日々です。😤


さて、義父宅には母屋に隣接した建物があります。

増えた物を収納するために義父の親が建てました。
物が増えたら取捨選択するということはしないで、物を入れる箱モノを建てちゃいました。
物がない時代をくぐり抜けた世代です。💦


1階の土間には、義母の畑仕事の道具などが置いてあります。

それだけでなく、いろんな物が置いてあります。
何が現役のものか、へでには分かりません。
この地下壕?は何かというと、収穫したサツマイモを保存するためのものです。

結構深くて、前のめりになりながらモミ殻をかき分けてサツマイモを取り出したものです。
今は、もう使っていません。
非常時に何かの役に立つでしょうか?


見ての通り、壁は漆喰、建材は無垢材そのものです。(^-^;
何の手入れをしているわけでもないのに、白壁と木目がやたらと美しいです。

2階は、1間の押し入れが2、半間のが1、8帖の板の間となっています。
押入れの中には、ムスコの五月人形、破魔弓、ムスメの羽子板のセットがあるだけでなく
ナゾの布団、毛布、座布団、いただき物の食器や鍋、タオルセット・・・・・・(°▽°)
そして隅っこには、邪魔物扱いのへでの嫁入り道具の和ダンスを置いています。
要するに、処分を先送りにしているものばかりです。
義父母はもちろん、義祖父母の代からの先送り物品です。( ̄▽ ̄)
その中で、へでがずっと見ないふりをしているものがあります。
亡き夫の物です。
旧宅からのものだけでなく、職場から持ち帰ったものもあります。
夫が亡くなった時には、細かいことは考えず、とにかく置ける場所に置いていました。
そして今までずっと段ボール箱に詰め込んで塩漬け?でした。
とりあえず、へでの責任として亡夫の物は何とかしなきゃと思いました。
思いたったら吉日、早速取り掛かりました。
ここは、エアコンがないので、夏と冬は地獄ですから・・・・(*^^*)


両親が施設に入った実家の片付けをしている友達から、
ネットで物を売りさばいている話を聞きましたが、
へでにはそんな甲斐性はありません。
燃える物、リサイクルする物、燃えない物とひたすら分別して、縛る、袋に詰め込む作業です。

夫が学生時代からアルバイト代で買い集めたレコードも、へでには猫に小判です。
今ならデータとして小さく収まるものが、段ボール箱に一杯ファイルで残っています。
夫が職場で働いた証のようなものでしょうが、だからと言って残しておいても・・・。
ちなみにへでは、職場の物は職場でガレージセール?をして、残りは全て処分しました❣️


さて、これらのものを市の環境センターまで持っていかなければいけません。
まず第一の難関です。

暗くて急な階段です。
手すりだけが頼りですが、両手に物を持つとあまり頼りにはなりません。💦💦


次はへでやに続く坂道です。
ワナのような踏み石、滑りやすい坂道を何度も往復しました。💦💦💦

こんなことは、ムスコやムスメのいるときにするべきだったと、
思ったときにはすでに遅しです。
思いたったら吉日というのは、ウソです!!!
何でも衝動的にするものではありません。T^T


ようやく車に詰め込みました。💦💦(今回はこのマーク💦だらけですね。💦💦)

(カバンやミニダンスは、義祖父母のものです。)f^_^;


環境センターでは、瞬殺で引き取ってくださいました。
夫の職場のファイルは有料処分ということで、200円支払いました。


残して良いのはお金だけ」と友人は冗談めかして言っていました。
残したものは、やがては処分対象になってしまいます。
本人にどんな思い入れがあろうとも、あの世にまでは持っていけません。


義父母宅には、義祖父母の物がまだ手づかずで残っています。
両親が長命であったため、残した物の処分をするエネルギーを息子夫婦はすでに無くしていました。
この建物、母屋の2階、義祖父母の離れと、物を置いておく場所があるのがクセモノです。
義父が施設に入り、義母一人が住んでいる空間に何も支障は無いのです。
今、へでが大汗かいて、いろいろなものを処分しても、あまりメリットはないのですよね〜
咲き終えたものを引っこ抜いて、新しい苗をポイポイと植える花壇のようにはいきません。
せめて、へで自身のものは、定期的にチェックしていこうと思います。
「残して良いのは・・・・」を呪文のように唱えながらね。^ ^


ではまた。ヽ(^o^)

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