ヘデのおうちストーリー

旦那様はせっかちにも千の風となり、子育ても卒業したヘデが2015年10月に平屋を建て替えました。その成り行きと現在の生活雑記を綴ります。ブログ超初心者です。

「繊細さん」の本を読んでみての思い

梅雨が画期的な時期に明けたと思ったら、今度は台風。
被害が出ない程度に、雨の恵みをもたらしてほしいです。


図書館で時田ひさ子著「その生きづらさ、『かくれ繊細さん』かもしれません」という本を見つけました。
帰りに寄った本屋さんでは、武田友紀著「『繊細さん』の本」がありました。
「繊細さん」というのが、キーワードのようですね。
こういう本が出回るということは、みんなそれぞれに生きづらい思いを抱えているのですね。


かく言うへでも、今でこそ鉄仮面のオバさんになってしまっていますが、
遠い乙女の頃には、結構繊細なところがあったような気がします。・・・・たぶん(^^;)
自分があるべき姿と現実の自分との差に凹み、
スルーすればいいようなこともクヨクヨ考え、
相対的な評価で自分を見て、一喜一憂していたような気がします。
へでが、何とかここまで生きて来れたのは、周りの多くの人に支えられて来た結果ですが、
それ以外に思い当たることを書き出してみようと思います。


①母方の祖母に無条件に受け入れられたこと。
祖母は幼いときに実母と死別し、家事全般を担っていました。
そのため上の学校にも行けず、ひたすら我慢の日々だったようです。
やがて継母を迎えましたが、うまくは付き合えなかったと聞いています。
早くに結婚し、苦労しながら多くの子どもを育て、やがて孫に恵まれました。
その孫の一人がへでです。
孫の中で間違いなく、へでが一番可愛がられました。
「目に入れても痛くない」と言う表現そのものでした。
何をしても叱られた記憶はありません。
就学前はもちろん、学校に入ってもからも休みになるとお泊まりし、
母が迎えに来ると泣いて嫌がったのを今も鮮やかに覚えています。
自己嫌悪に浸っても、祖母の愛情を思い出すと、
自分は無条件に愛されている存在だという肯定感が心の底にあって、
支えとなっていたように思います。


②幼いから描き続けて来た日記。
根っからの小心者ですから、人に論理立てた反論をする気力は持ち合わせていません。
人に嫌われたらいけないと思うと、妥協と諦めしかありません。
でも、それに耐えるような気高さも根性も持ち合わせてはおりません。
穴を掘って自分の思いを埋め込むように、日記に本音を書いていました。
書いて解決につながることは少ないのですが、
書くことによって、ある程度客観的に自分が何を悔しがっているのか、
どうしてもらいたかったのかが、うっすらと分かることもありました。
そうなると、「しょうがないなぁ」「まぁ、いいかぁ」と自分を納めることができました。
「凡人なんだから、こんなもんでしょ!」と開き直り、
「またいいこともあるだろう」と、気分を浮上することができたように思います。
ですから、へでの日記は他人さまにはお見せできるものではなく、
自分でさえ、あまり読み返したくもないシロモノです。
処分対象1番乗りのものですね。(*^^*)


③読書に逃げ込むことができたこと。
字が読めるようになってから、へでは文字が大好きになりました。
本だけでなく、漫画、広告の紙、新聞など、内容がイマイチ不明なものでも
とにかく目に入れば一応目を通していました。
小学校、中学校の図書館の本はその大半を読みました。
母の手伝いも勉強もロクにしないで、とにかく片っ端から借りて読みました。
それで知識が増えたとか、論理的な思考ができるようになったとか、
情緒豊かに育ったとかは、全くと言っていいほどありません!(キッパリ!!)^ ^
現実逃避して、しばし心地よい空間に逃げ込み、傷を癒していた気がします。
絶世の美女、全知全能のスーパーマン、賢明な女王サマ、猛獣、単細胞にもなれました。
大人になって待ち時間があると、喫茶店ではなく本屋さんに行って立ち読みしていました。
何と気軽な、安上がりな気分転換でしょう!
任侠映画を見たお兄さんが、肩で風を切って映画館から出てくるような感じです。
立ち読みした後も、読んだ本の中の余韻を楽しむことができました。


④何となく運が良かったこと。
幼い頃は、日本の高度経済成長の真っ只中でした。
とにかく日本全体が右肩上がりで、年々豊かになっていくのが目に見えました。
今はこんなだけれど、きっといいことになる、いいことがあると思えました。
何も確たる根拠はないのですが、悲観的に思う根拠もまたないわけで、
どっちみち根拠がないのなら、悲観的な展望よりは楽観的な展望の方がうれしいものです。
地域、全国、世界の催しにみんなが一丸となって楽しんでいました。
もちろん色々な影の部分もあったのですが、
影よりも光の方にみんなが目を向けていたような気がします。
今は、SNSやマスコミの論調はどちらかというと影の部分に焦点を当てたものが多いです。
良いことの裏には必ず良くないことがあり、長所と短所は裏表です。
人の弱みを徹底的に攻撃し、失敗が許されないような世の中の風潮です。
これは生きる上でつらいことです。
今の若い人のしんどさが気の毒に思えます。


⑤妄想癖?があること。
③と関連があるかもしれませんが、へでは年表とか地図、宇宙、家系図が好きです。
際限もないような宇宙の広さ、地球の誕生以来の歩み、人類の歴史などに思いを馳せると
今、自分が凹んでいることの余りの小ささに気付きます。
今のしんどさも、人生の中のほんの一コマのエピソードに過ぎない気がしてきます。
今のへでがここに存在しているのは、ものすごい長さの年月の命のリレーがあるわけです。
その何処か一つが欠けていたら、へでの存在はありません。
そう思うと、こんなへででも唯一無二のものと自惚れてしまいます。\( ˆoˆ )/
実際、有史以来のへでのご先祖さまたちは、特権階級であったはずもなく、
餓死スレスレの中、天変地異に苛まれ、何とか生き抜いて来てくれたのです。
そう思うと素直にありがたさが胸に沁み込んできます。
へでも、へでなりに日々を過ごしていこうと殊勝な気持ちになります。


とりとめもなく、書き連ねてしまいました。
皆それぞれに重荷を背負って日々を過ごしています。
重荷はその人でないと分からないことも多いです。
安易に第三者が口出ししたり、忠告できるものではありません。
繊細さゆえに苦しんでいる人は、もっと自分を可愛がることができたらなと思います。
いずれ歴史の彼方に埋もれる身です。
一定期間しか生きていられないのですから、せめてその期間だけでも自分を愛しみましょう。
いつの間にか図太くなってしまったオバさんのたわ言ですが・・・・(^.^)


梅雨が明けたというので、少し早めの模様替えをしました。

週末には、入院中の母とスマホを使ってのテレビ電話面会をします。
母手作りの色紙が、元気一杯だった頃の母との思い出を蘇らせます。


最後まで読んで頂き、ありがとうございました。


ではまた。(^_^)

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