ヘデのおうちストーリー

旦那様はせっかちにも千の風となり、子育ても卒業したヘデが2015年10月に平屋を建て替えました。その成り行きと現在の生活雑記を綴ります。ブログ超初心者です。

旧家の時の流れ・・・公民館での資料公開を見て

ヘデ

「今年の暑さは異常!」「観測史上最高気温!」と毎年言われているような気がします。
まだまだ暑い日が続きそうですね。
へでやでは、リビングの敷物を替えてみました。
ムスメが以前使っていた敷物が、この暑さではちょっと重く感じるようになりました。

何か肌触りの良い敷物はないかなと、物色していました。
すると廃棄処分候補になっていた綿毛布が目にとまりました。
それを半分に折って敷いてみました。
肌触りはすこぶる良好です♪大きさもぴったりです♪
しかも、掃除の時には折り畳むこともできますし、簡単に干せます。

廃棄処分にしてなくて良かったです。(*^_^*)


この前、地区の回覧板で紹介のあった地域の旧家の文書の公開に行ってみました。
暑い中、日傘をさして公民館までテクテク歩いて行きました。
(熱中症の危険性もありますが、車を出すほどの距離ではなく、道も細いので^ ^)
公民館に入るのも久しぶりでした。

資料の展示があり、スクリーンでも映像が紹介されました。
長年住んでいても、生まれ育った所ではありませんから、初めて知ることも多かったです。
旧家は代々の庄屋サマで、この資料の当主は明治2年生まれでした。
18歳で東京神田の中央大学の前身にあたる学校に3年間学び、地元に帰ってきました。
明治の典型的な地元の名士となり、県会議員まで務めたようです。
そのかたわら、洋梨🍐の栽培を手がけたそうです。

当時は皇室献上というのが、ブランドには必須だったみたいですね。

そして長年の功績で、こんなご招待にあずかれました。
末文のドレスコードがすごいですね。
一族の誉れ、一世一代の誉れというものでしょう🎉🎉
こうした文書がきちんと保存されていました。
そして、当時の小学校区全体の地図も保管されていました。

全て手書きで、赤い線が道路のようです。
非常に精密なもので、一戸一戸の番地まで記載されていました。
残念ながら、近視のへでには我が家は見つかりませんでした。
テーブルの上に乗っかるわけにはいきませんから💦💦💦
短時間の参観予定が、気がつくと1時間を過ぎていました。
帰り道に、この春に屋敷を解体してしまった土地を改めて見ました。
解体が決まった時点で、長年保管されていたこうした文書が日の目を見たのでしょう。

子孫の方々はみんな都会に出てしまい、長らく空き家になっていました。
お寺みたいな豪壮なお屋敷でしたが、維持管理が大変だったことでしょう。
近々、5軒のお家が建つのでしょうね。栄枯盛衰は世の習いとはいえ寂しさを感じます。
こちらは、その分家の家並み。

そこはかとない品格がありますね。
でもやっぱり若い世代は、都会に出てしまわれているようです。T_T

こちらは、 へでやと義母、借家を取り巻く石垣です。ちょっと違いますね。^ ^


家の歴史の違いというものでしょう。(^^)/~~~
我が家の行く末もどうなることやら・・・・


ではまた。(^_^)

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