ヘデのおうちストーリー

旦那様はせっかちにも千の風となり、子育ても卒業したヘデが2015年10月に平屋を建て替えました。その成り行きと現在の生活雑記を綴ります。ブログ超初心者です。

やっぱり難しい断捨離

先日、義父の一周忌の支払いに行ったところ、賑やかに何やら準備をしていました。
尋ねてみると、こんなチラシをいただきました。

人形を燃えるゴミに出すのは、やっぱり気がとがめますよね。
こうして供養して、成仏していただくのですね。なるほど、なるほど・・・・
実は、へでにもこうした人形があるのです。
それは、 へでやにはなく、義父の両親の部屋の押し入れに密かに置いています。

これです。

へでの雛人形です。
父が元気な頃は、毎年時期が来ると飾り付けに来て、そしてまた片付けてくれていました。
やがて旧宅のリフォームで床間がクローゼットになってしまい、飾る所がなくなりました。
それ以来、日の目を浴びていないお雛様たちです。
組み立てている写真を今回探してみました。

これはへでの初節句の時のものです。モノクロなのが時代を感じさせます。^ ^
初孫娘のために祖父母が贈ってくれました。
当時は、御殿付きが流行だったようです。

人が写っていない写真は意外となくて、ようやく見つけたカラー版がこれです。
なぜか御殿がありません。アルバムに「虫干し」と書いてあるのですが、謎です。f^_^;
実はその後、 ひな壇と御殿、お道具は思い切って断捨離しました。


翌日の人形供養に持って行くために、早々に車に積み込みました。

が、
その晩はいつもは瞬殺で眠るへでがなかなか寝付かれず、途中の眠りも浅かったです。
そして寝坊をしてしまいました。こんなことは近年ないことです。


雛人形の箱を へでやに運び、中を恐る恐る開けてみました。

亡父が最後に収納してから、多分30年くらいは経っていることでしょう。
次々と箱を開けていきました。

防虫剤は当然のことながら中身はなくなっていました。

でも虫喰いは全くなく、色褪せてもいませんでした。
アルバムの写真は、劣化がひどかったのにね。(^。^)

冠や小道具をまとめたこの袋の口は、亡父が締めたのだと思うと胸が熱くなりました。
亡父がお雛様を組み立てたり片付けたりしていた姿が鮮明に思い出されました。
そうなるともうダメです。(T_T)


新たに防虫剤を入れて、元のように木箱に入れていきました。
へでやの玄関の収納は高いので、出し入れが危険です。義母の蔵の一階もちょっとね〜

かといって2階に行くにはこの急な階段を使わなくてはいけません。結局元の場所へ。


雛壇はもうないけれど、来年には日の目を浴びさせてあげたいなぁと思いました。
祖父母、両親がへでを大切に思ってくれていたことが、しみじみと感じられました。


雛人形で思い出して、翌日は慌てて五月人形にお出まし願いました。

この階段と坂を往復すること、行くたび。このエクササイズがいつまでできるかしら?^^;
1時間あまりかけてようやく完成❣️

断捨離って、難しいです。( ̄^ ̄)


ではまた。(^_^)

実はブルーだった3月(*^^*)

「花は盛りに、月はくまなきをのみ見るものかは」と、かの兼好法師もおっしゃいました。

近くのお寺さんで、サクラの花びらの絨毯を見ました。息を呑む美しさでした。*\(^o^)/*


さて、人間ドックの無慈悲な結果が届いたのは、2月下旬のことでした。

サクラのように潔く散る覚悟は、未だできていないへでです。💦💦💦

こんな風に書かれるとなぜか、知らぬうちに病魔に冒されている感じがしてきますよね。
しかもD2が2つもあるのです‼️
オールAなんて、若い頃から見果てぬ夢と思っていました。
でも、この惨状は予想していませんでした。T^T

今回はオプションで、腫瘍マーカーを5つお願いしていました。
マーカーでは異常なしなのに、5つの部位のうち2つが要精密検査となりました。
なかなかのもんでしょ。。。。( ̄^ ̄)


とりあえず人間ドックをした健診センターの本体の病院に予約を入れて、1週間後に受診。
1週間後に大腸内視鏡検査の予約、その2週間後にMRI検査の予約、次の1週間後に結果。
パッパと検査・結果発表というわけにはいかないところが切ないものです。
3月は、病院通いということになってしまいました。(T_T)


先ずは、大腸の内視鏡検査です。ずいぶん前にしたことはあります。
あの検査用の水薬を飲むのが、いささか苦しかったことを覚えています。
今回は、まるでスポーツ飲料のようでした。

当日の朝は、絶食だったので、美味しくゴクゴクといただきました。😋
検査前日の昼食、夕食とはレトルト食品のみ、晩に飲み薬が処方されていました。


絶対マズイ、お腹の足しにはならないと思っていましたが、意外と美味しかったです。😋

食間も空腹感はなかったです。
進歩しているものですね。💮💮💮💮💮


さて、検査は夕方ですが、朝から病院へ。病棟の方に行きました。
検査中に怪しいものがあったら、切除してそのまま入院です。入院準備の荷物持参です。
これが病室です。

そこらのお安いビジネスホテルよりもきれいで、広いです。部屋の鍵まで渡されました。

トイレ、シャワールームだけは唯一病院色満載で、置かれた境遇を思い知りました。f^_^;


その後はひたすら水薬を飲み、トイレに通いました。
(合間に英会話のお勉強やなんちゃって筋トレ、ネットサーフィンを楽しみました。^ ^)
人間、何か取り柄のあるもので、腸が早くきれいになったとかで、順番が早くなりました。
大きな痛みもなく、20分ほどで検査終了。無罪放免となりました。✨✨


そして、さらに待つこと2週間。この2週間は精神的に正直キツかったです。
気分転換にムスメのところに行き、家政婦生活に勤しみました。ムスメに感謝です。


ようやくMRI検査の日となりました。
内視鏡検査と違って朝食を抜くだけで、20分ほどで終了。


それから1週間がまた長いのですよね。
造影剤を入れなかったとムスメに言うと、なら多分大丈夫と言われました。
そういった知識のあるムスメなので、信頼度はあります。
でも、この病気で3年前に1年間の闘病で亡くなった同い年の従姉妹のことを思うと・・・
イヤイヤ、病気を告知された20数年前の時より、もう懸念事項はないと開き直ったり。


ムスメは帰省して一緒に病院に行こうかと言ってくれましたが、
20数年前にも1人で結果を聞きに行き、手術を受け入れたんだからと断りました。
病院に行って待合室で待っている間、不思議と落ち着いていました。
診察室に呼ばれて説明を聞くときも、人ごとのような気分でした。
結果は異常なしだけれど、まぁ、毎年人間ドックを受けるようにと言われました。
会計の時に子どもたちにメールをし、義母に電話しました。
いつも既読になかなかならない子どもたちも、
耳が遠くて電話に出ないことが多い義母もすぐに応じてくれました。
「昨晩は眠れなかった」とムスコ。ホントか⁇(*^^*)


ということで、今年のサクラはことの外、待ち遠しく、美しく感じました。
「人はただ無常の身に迫りぬる事を心にひしとかけて、つかの間も忘るまじきなり。」
兼好法師のこの言葉が身に沁みました。


ではまた。(^_^)

難しい断捨離・・・

どこを見渡してもサクラが咲き乱れていますね。

今年は時ならぬ寒波で開花が遅れたために、ことさら美しく感じます
待った甲斐があるというものです。(^O^)

お散歩のところでも、あちこちにサクラが咲いています。
名所でなくても、サクラはサクラ、やっぱりステキです。
例のおじさんのところのサクラもこの通り。いい感じです。

 へでやでは、宿根?ペチュニアが突然咲き誇っています。びっくり‼️です。

掘り起こしもしなかったチューリップも、か細く健気に咲いています。
ごめんね🙏と思いながら毎日眺めています。

やっぱりチューリップも春には不可欠だなぁと思います。


チューリップも集まると豪勢なものですね。

こんなのも上品!
今年の秋には、チューリップの球根を植えなくちゃと決意するへでです。
まぁ、へでやのことですから豪勢にも上品にも至れませんが・・・・(*^^*)


そんな花の真っ盛りの中、義父の一周忌を昨日行いました。
この日のために花々が待ってくれていたのかも。
穏やかに笑いながら、義父がみんなの前に現れそうな気さえしました。



ずっと気になっていた着物の断捨離。

自分で着れない、片付けられない、手入れができないへでです。
母が元気なうちは、片付けや手入れをしてくれていました。
へでができるのは、折々に防虫剤を入れるだけです。
和ダンスさえも、ずいぶん前から義母宅の蔵の2階に置かせてもらっています。

防虫剤の今までの購入代金総額でスーツの良いものが買えそうです。
そうは言っても、へでの若い頃は嫁入り道具で和ダンスは必須でした。
タンスの中を空にしておくわけにはいきません。
当時「お道具拝見」と言うのものがこの地域ではありました。
嫁入り道具が新居に入ったら、ご近所のお歴々が見に来るという怖ろしい習慣です。
今では考えられないですよね。( ̄∇ ̄)
婚家で肩身の狭い思いをさせまいという親心で、揃えてくれた着物です。
でも、子どもたちのお宮参り、七五三、入学式、卒業式でも着物は着ませんでした。
もちろん皇居におよばれすることもありませんでしたしね。(o^^o)
夏祭りでも浴衣は着ませんでした。もちろん夫も。
父の葬儀の日、従姉妹に黒紋付を着付けてもらったのが、最初で最後のような気がします。
夫や祖父母、義父の葬儀では喪服で通しました。着物では自由に動き回れないのですよね。
ガサツな人間なのです。(^.^)


友達に聞くと、着物を断捨離した、まだ手元にある、とさまざまでした。
地域の布ゴミで出すとご近所の目がイヤなので、燃えるゴミの中に少しずつ入れて出した、
なんていう剛の者もいました。(*^^*)
着物の引き取り業者に頼んだ人たちは、二束三文だったと言っていました。
腹が立って、持ち帰ったという人さえいました。
古い着物なんて余程のものでない限り需要がないのでしょうね。(-_-)


とりあえず、着物断捨離第一歩として、義父の母親の着物を処分することにしました。
亡くなってすでに15年が経ちました。
もう形見分けを願う人はいません。
へでにとって義理の祖母にあたるその人は、外出の時には着物を着て出かけていました。
趣味は仲人で、週末にはお見合いに、月に何回かは仲人会に出席していました。
そして見事キューピット成立後には結婚式にも。
ということで、着物の数は へでや義母の比ではありません。
ゴミとして出すには、やっぱり故人には申し訳ない気がします。
それで友人たちには不評だったけれど、業者のお店に持って行きました。

なにぶん量が多いので、家に来てもらうことも考えたのですが、
一人暮らしの義母の状況思うと、やっぱり懇意でない人を家に入れたくはありません。
そこで、うんとこどっこいしょと、へでの車まで運び入れました。
これがなかなかの力仕事でした。💦💦💦💦 ようやくお店のカウンターへ。

そしてお店の人に告げられた引き取り金額は千円に満たないものでした。T^T
家にまた持って帰る根性などないへでは、いさぎよく引き下がるしかありません。
その晩、祖母の亡霊が現れるんじゃないかと危ぶみましたが、そんなことはなかったです。
明治生まれ、享年百歳の長寿だった人は、さすがに器が大きいです。f^_^;
着物の保存状態もよく、おしゃれな人の着物なので、もう少し値がつくと思ったのですが、やっぱりうわさ通りでした。
義母もへでも少々ショックでした。
自分たちの着物の断捨離はもう少し間を置くことにしました。(^_-)


「お道具拝見」で思い出したのですが、
へでが嫁入りした時期には、振り袖を着て義母の先導でご近所に挨拶回りをしました。
へでが嫁入りした後には、そんな挨拶を受けたことがないので、へでが最後???
思いっきり猫をかぶっていたので、地域の人たちが呆れて、とりやめとなったのかな?^ ^
どちらも遠い遠い昔のこととなりました。


ではまた。(^_^)