母の旅立ち

実母が年の瀬に亡くなりました。
10月の初めに医師から看取りの時期になったと告げられていました。
その頃から食欲がめっきりなくなっていました。
これといった疾患はなく、身体全体が老衰という状態だそうです。
医師から今後の看取りの希望を聞かれました。
①胃ろうや栄養点滴を使うか?
②心臓停止の時には心臓マッサージをするか?
③この施設でずっと過ごすか?入院するか?
兄と一緒に、施設のナースや介助員の集まったカンファレンスルームで話を聞きました。
事前に兄とこうした踏み込んだ話はしていませんでした。
即答はできなくて、その会が終わってから2人で話し合いました。
胃ろうを作るときにもそうでしたが、兄妹とはいえ、それぞれに考えが違うのです。
①兄としては、できるだけ長く生きて欲しいという、子としては至極真っ当な考えです。
折角胃ろうがあるのだから、それを使うのは今だろうということです。
(数年前に胃ろうを作って鼻から栄養チューブを抜くと、母は口から物を食べるようになり、胃ろうはずっと使っていませんでした。)
②については、心臓が止まったらもうそれは「死」であるということで一致しました。
私たちが駆けつけるまで、マッサージをして生きながらえさせる必要はありません。
③についても、もうこの部屋で静かに看取りたいということで一致しました。
問題は①です。
私としては、口から食べれなくなったら生物としては、自然の死であると思っています。
胃ろうや点滴を使えば、回復するのならありがたいのですが、その望みは薄いです。
寝たきりになって数年が経ち、認知も衰えて来ている母。
この状況がさらに長く続くことを望んでいるでしょうか?
元気なときには、延命治療はしないで欲しいと母は言っていました。
元気なときにはそうでも、いざ死が近くなったときには、人は本能的に少しでも長く生きたいと思うのではないか?
兄にそう言われると、言い返すことはできませんでした。
しばらく沈黙の時が過ぎた後、兄が私の考えに歩み寄ってくれました。
そして水分だけは胃ろうを使って補給するということにしました。
その後、兄と交代で母の面会に行く時には、あれやこれや母の好物を持っていきました。
少しでも食べてくれるとそれがうれしくて、報告し合いました。
口腔衛生は大切と聞いていたので、歯ブラシ、デンタルクロス、歯間ブラシ、口腔用スポンジを使って、せっせと口の中の手入れをしました。
母も口を大きく開けて協力してくれました。
目を開けて反応してくれる日は少しずつ少なくなっていきました。
10月の終わりに容態が急変して、緊急呼び出しがありました。
兄も私もすぐに駆けつけました。熱が高く吐いていました。
医師も来ていて、入院を告げられました。
この施設は、1階と2階は総合病院となっているのです。
ストレッチャーで病室まで行った頃には、母は落ち着いた状態になっていました。
肺炎ということで、10日間ほど入院しました。
その際、治療のためということで数日間、抗生物質と共に栄養分を点滴しました。
すると車椅子で施設の庭を散歩したときにも目を開けずに眠っているようだった母が、何としゃべるのです。
表情豊かに楽しそうに私たちに向かってしゃべるのです。
これにはびっくりしました。
枯れていくように見えた母のいっときの輝きでした。
肺炎は治癒し、退院して部屋に帰ると、その輝きは消えてしまいました。
11月の終わり頃から、全く食べない日が続きました。
たまに食べても小鳥の食べるくらいの量です。
①を断ったことで、母を見殺しにしているような気持ちになりました。
入院中の母を思い出すと、なおさらつらい気持ちになりました。
施設の人には変更はいつでも受け付けますよと言われていましたが、変更しませんでした。
兄は最後まで、いろいろ工夫して食べさせようとしていました。
へでは、手や足をそっと触って、話し掛けをしました。反応は特にはないのですが・・・
こんな状態でも時には、施設の人に「ありがとうございました。」という母でした。
究極の省エネ状態の中、律儀さを発揮していました。母らしいです。
水分だけの毎日なのに、みんなが驚くほど持ち堪えた母でした。
亡くなる日、「ではまた明日ね」と言って兄と交代しました。
兄も夕方に帰るときに、後ろ髪を引かれるようだったとメールを送って来ました。
・・・・母に明日は来ませんでした。
真夜中に兄からの電話で部屋に駆けつけたときには、母は暖かくて眠っているようでした。
ナースだけでなく介助員の方も頻繁に回って来てくれていたようでした。
やっぱり泊まれば良かったと兄が悔いていました。
「お母さん、本当によく頑張ったね。」そう言って頭を撫でてあげました。
母が亡くなってから葬儀の打ち合わせ、お通夜、葬儀、施設の部屋の片付けをしていても、時が止まったような感じでした。
母親の存在の大きさに圧倒される思いです。
いつも私を応援、手助けしてくれた母でした。
一人 へでやに戻ってくると、夢を見ているような感じでした。
つらかった面会の日々が、今では幸せだったようにさえ思われます。
インフルエンザで帰って来れなかったムスメが帰って来て、ようやく時が動き始めました。
プランターの草を抜いていたら、チューリップの芽が出ていました。

時は動いているんですね。
とりとめなく、書き綴りました。
最後までお付き合いくださいまして、ありがとうございました。