ほぼ自己満足の旅日記です。良かったらお付き合いください。
活動4日目は、リスボンから東へバスに乗ること1時間半余り、エヴォラに着きました。
エヴォラは古代ローマやイスラムの影響を色濃く残す世界遺産の古い街です。
リスボンもシントラも坂道だらけでしたが、ここは有難いことに平らな土地です。

何の変哲もない、場末風のところでバスは終点でした。
中心地まで歩くには、ちょっと遠めです。
そこで、ムスメお得意のUberの出番です。改めてネットでみてみました。

ムスメはよく使っているようですが、へではまだまだ初心者です🔰。
ポチっとすれば、候補の車と運転手が選べ、決まると5分くらいで来てくれます。
料金は事前に設定済みなので、面倒な料金交渉もありません。
今回の旅行で、路線バスを待つ時間が惜しい時に何度か使いました。
どの車もとても綺麗で大きめでした。運転手さんは基本、英語は喋ってくれませんでした。
型通りの挨拶をするだけでしたが、雰囲気は悪くなく安心して乗れました。💮💮💮
そして1番に行ったのが、この地最大のカテドラルです。
リスボンで、教会やらカテドラルはもう食傷気味なのですが、ここは外せません!

左右対称の2つの塔が特徴で、200年近くかけて造られた立派な建物です。
でもまぁ、そんなことは置いておいて、へでが1番見たかったのはこれです。

このパイプオルガンです。
あの天正遣欧少年使節団の少年たちが腕前を披露したのです。😍😍😍😍😍
使節団のことは日本史の教科書でさらりと記載があります。
(へでの高校の教科書です。何でも捨てたがるのに、こんなものは保管しています🤭)

この使節団の資料はその後の禁教令や鎖国で、日本には余り資料が残っていません。

使節団が通ったヨーロッパの街々にさりげなく残って、近年注目されるようになりました。
彼らは15、6歳の頃、日本を出て、インド、アフリカ経由でポルトガルに着きました。
ポルトガル各地で歓待を受けて、スペインを通って、ローマに行き教皇に謁見しました。
出発してから8年後に帰国したときには、その3年前にすでに禁教令が出ていました。
帰国後まもなく棄教した千々石ミゲル。最近の研究では新しい発見も出てきたようです。
その後司教に任命された3人のうち、マカオに移って布教した語学堪能な原マルチノ。
志半ばで長崎で病死した伊東マンション。
潜伏して布教活動を続けてついに捕縛、苛烈な拷問の挙句に殉教した中浦ジュリアン。
彼らが若い日に過ごしたこの8年間は、終生何物にも変え難いものだったでしょう。🥹
ローマ人によって造られた神殿や水道橋もエヴォラには残っていました。

そして忘れられない思い出が一つ、このエヴォラでできました。
連日、お昼は誠に質素だったので、この日は少し奮発してポルトガル料理店に入りました。
白い布のテーブルクロスが掛かっているお店でした。
前菜からデザートまでワインを飲みながら平らげていきました。大満足のおいしさでした。
そして、お会計は覚悟していると、何とカード読み取り機が働いてくれません‼️😱
ムスメが持っていた3枚のカード、へでの持っていた2枚のカード全部、読み取れません。
ムスメはいくらか現金を持っていました。
でも、たらふく食べて飲んだ代金に、とても足りそうにありません。
へでが人質になって、ムスメが現金調達に走るのか、2人共皿洗いをして過ごすのか⁉️
そう思っていると、「もういいよ。」という店主のお言葉。「時々こうなるんだよ。」
ムスメが思わず「カード読み取り機を早く換えないとダメよ」と言うと、笑っていました。
ランチタイムのこの時間、お客はとうとう1人も入って来ませんでした。
大丈夫なの?とこちらが心配しちゃいました。
ちょっと申し訳ない気分ではありますが、店主さんの笑顔に送られて店を出ました。
すぐ近くにあった世界遺産のエヴォラ大学です。

ポルトガルで2番目に古い大学で、イエズス会が作ったので教会も付いています。
回廊が美しくて、廊下や教室、礼拝堂の中にもアズレージョが施されています。
中断期間がありましたが、今でも現役の大学で、学生さんの姿を見かけました。
廊下に掲示していた講座一覧を翻訳アプリで見ると、文系の内容が多いようです。

この後、サン・フランシスコ教会に行きました。
5,000体以上の人骨で造られた人骨堂が有名ですが、へでには悪趣味としか思えません。
写真はカットです。悪しからず。💦💦💦
その代わりと言えばなんですが・・・・・街中の写真です。
リスボンのアラメダ駅で行われていた古本市場です。ズラリと本が並べられて壮観でした。

こちらは、ホテル近くのスーパーです。毎日帰りに水や果物を買いました。
ではまた。(^ν^)


















