ヘデのおうちストーリー

旦那様はせっかちにも千の風となり、子育ても卒業したヘデが2015年10月に平屋を建て替えました。その成り行きと現在の生活雑記を綴ります。ブログ超初心者です。

無常のこと

ようやくコロナ感染者数も減って来て、気候も良くなってきました。
ありがたいことですが、またぞろ、台風がやってきていますね。
本当に日本という国は忙しいです。
いつも何かに警戒しておかなければいけません。
そしてその警戒の気持ちは、自分の身体にも必要なんですね。
そして台風の進行と違って、誰も教えてはくれません。


つい先日、兄からの知らせで父方の従姉妹の訃報を知りました。
何とへでと同級生なんです。
従姉妹といっても付き合いに軽重はあって、
この人ととは互いの結婚以来、冠婚葬祭に会う程度でした。
彼女は父の兄の次女で、父方の祖父母は早くに亡くなっているせいもあって
「おばあちゃんを介して一緒に過ごす」という関係はありませんでした。
彼女の母親も早くに亡くなったので、
不憫に思った父がたまに家に連れて来た時に一緒に過ごしました。
夏休みの宿題を母に見てもらいながら、一緒にした記憶がうっすらとあります。
最後に会ったのは、彼女の父親の葬儀でしたから、かなり前になります。
へでの父方の系統は、割と短命なのです。
祖父は50歳前、祖母に至っては30歳過ぎで亡くなりました。
父を始め、その兄弟たちも平均寿命に遠く及ばずに亡くなりました。
父が「親父の亡くなった歳を越えた」と感慨深げに言っていたのを覚えています。
兄も近頃「親父の亡くなった歳にだんだん近づいてきたなぁ」と言っていました。
普段は何も意識しないで、バタバタと目先のことだけにとらわれて過ごしていますが、
同い年の従姉妹のお通夜に参列すると、自分の残り時間を意識せざるをえません。
もう「幼い子を残して」という気遣いはありませんが、
頼りにしているであろう「実母、義父母を残して」という気掛かりがあります。
いつまで経っても俗世でのしがらみからは脱せないものですね。


お通夜の席では、親戚、職場の人が駆けつけ、涙していました。
その光景を見ると、決して長くはなかった従姉妹の充実した人生がうかがわれました。
読経してくれた住職の方が最後に「人生は長さではなく、その生きた中身にある」
「故人は見事に生き切ったと思います」と言われました。
その言葉にまた一同涙しました。


秋が深まっていくと、へでのような能天気な人間でさえも、ふと世の無常を感じます。
久しぶりに、へで版和漢朗詠集です。
「ついに行く 道とはかねて 聞きしかど 昨日今日とは 思はざりしを  在原業平」
「人はただ無常の身に迫りぬる事を心にひしとかけてつかの間も忘るまじきなり 徒然草」
・・・・といっても凡人の常として、すぐ忘れてしまいますけれど(^^;;


こぼれ種から発芽して、かわいい花を咲かせた日々草です。
愛おしいものです。
剪定を待ち望んでいる義父宅の庭の木々。
毎年この時期にサツキの花が咲きます。(・・?)

玄関とダイニングもプチ模様替えもしました。

では、また(^◇^)

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