ヘデのおうちストーリー

旦那様はせっかちにも千の風となり、子育ても卒業したヘデが2015年10月に平屋を建て替えました。その成り行きと現在の生活雑記を綴ります。ブログ超初心者です。

久しぶりのお屋敷レポート①

へでやも建ってから6年を迎えました。
エネファーム君のモニターにもこんなメッセージが送られて来ました。

そして指示通りに確定スイッチを押すと・・・・

初期投資を取り返そうなんて思わなければ、平常心を保てます。(*^^*)
「地球のために貢献しています❣️」と思うしかありません。
でも、最近は発電切りをしていることが多いんです。

そんな中で、またしてもエネファーム君の逆襲が❗️
スッカラカンになっているはずの貯湯タンクにお湯がぐんぐん入っていっています。

貯湯タンクの横の四角い表示の中の矢印がグルグル回っています。
そしてタンクが満タンになると、表示は消えました。
相変わらず人騒がせなエネファーム君です。
取扱説明書を久しぶりに出してきて、お勉強しました。
貯湯タンクの水質維持のため、定期的に満タンになるまで沸き上げをするんだそうです。
そういえば以前にも何度かあったような気がします。
この時期に満タンなら優に2日分のお湯はまかなえそうです。
「どうしても縁切りさせないぞ」というエネファーム君のつぶやきが聞こえそうです。(^.^)


さて、コロナの感染者数がひとまず落ち着いたということなので、
今のうちにと、ちょっと遠出をしました。
都会に出ると、人の多さに改めて驚きます。
この人出で、この感染者数というのも更なる驚きです。
行った先はここです♪

以前、テレビで紹介されていましたし、最近新聞にも掲載されていました。
まぁ、人もそう多くはないだろうと踏んでいましたが、その通りでした。
本当は正門から入るのが良いのですが、駅からの最短コースの東門から入りました。

それでもこの構えです。(°_°)
通路の溝に架かっている石は1枚の巨石でした。
さすが100万石加賀藩前田家の流れを汲むお家です。

維新前には本郷に10万坪の屋敷を構え、維新後には1万坪に縮小されたそうです。
さらに家政刷新のため、関東大震災を機に本郷から駒場に移転し、
昭和初期に居住されるようになったそうです。
邸内に4、5頭の馬を飼い、馬場がありました。
温室には熱帯植物と果物を、畑では花や野菜を栽培しました。
車庫にはフォードやキャデラックなど4台が収められていました。
柴庭では、園遊会が開かれ、スキーやゴルフも楽しめたなんて・・・・・
庶民には想像できない生活です。f^_^;


でも実際にこのお屋敷で当主の方が住まわれたのは12年間だけで、
当主が戦死されてからは人手に渡り、戦後は連合国軍に接収されてしまいました。
昭和42年に駒場公園として整備されましたが、
ほぼ往時の姿をとどめているのには驚きです。
そしてお庭はもちろん、洋館和館のほとんどが無料で公開され、
和館の茶室や小座敷は有料で貸し出されています。
立派なパンフレットもいただきました。

お家見学が大好きなへでですが、
ここまでのお屋敷となると3年前の夏以来です。

戦前の上流階級のお屋敷というのは、庶民とは格段の差がありますね。
あまりのその差に一種潔ささえ感じてしまいます。
戦後の怒涛の流れに苦労されたことでしょうねと、つい思ってしまいます。
長くなったので、お屋敷内部のことはまた次回に。(^ν^)

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