ヘデのおうちストーリー

旦那様はせっかちにも千の風となり、子育ても卒業したヘデが2015年10月に平屋を建て替えました。その成り行きと現在の生活雑記を綴ります。ブログ超初心者です。

春なのに、お墓考(^^;

サクラが満開です。

これはいつも剪定でお世話になっている例のおじさんの家のサクラの木です。
今年も見事に咲きました。個人の庭にこの大きさのサクラが2本。すごいものです。

こちらは、義父の庭のサクラ。1年に1度その存在をひっそりと明かしています


今回は花見の話題ではありません。
先月に、恒例の墓地の掃除がありました。
去年の秋に有志の方が集まり、墓地掃除を日を決めてやろうということになりました。
それまではお彼岸、お盆、年末などに各家が各自で自分のところを掃除していました。
しかし、少子化の日本、しかも都会に出た人はもう帰ってきません。

そうなるとこうなってしまいます。
代々続いたお家だったのでしょうが、訪れる人がいなくなると、こうなります。>_<
そこで、定期的に掃除だけでも一緒にしようということになったのです。


我が家では、義父の父がお墓を整備しました。

しかし我が家もムスコがいるとはいえ、ムスコには娘だけですから
早晩あのようになっても不思議ではありません。💦💦💦
へでの友人の一人は昨秋、実家の墓仕舞いをしました。
墓地はお寺に返し、墓石は魂を抜く?儀式をして引き取ってもらったそうです。
そして、骨壷をコンパクトな空間に納めて、永代供養をお願いしました。
お値段を聞くと、予想していたよりも結構なものでしたが、
友人は積年の宿題を済ませた気持ちになってスッキリしたみたいです。


墓掃除はみんなですると勢いがあって、20分ほどで終わりました。
草はまだ勢いがそれほどでもない季節ですから、もっぱら枯葉が相手でした。

山に入ったところなので、山相手に本気でしたらいけませんよね。(^^;
掃除の合間に聞いた話では、
何でも関ヶ原の戦いに敗れて行き場がなくなり、この地に来た一党なのだそうです。
ちなみに義父の父から、我が家もこの墓の近くに長年住んでいたという話を聞いたことがあります。
それが義父の3代前のご先祖が放蕩三昧で、身上を潰してしまい、
墓地から少し離れた今の所に掘立て小屋を建てて住み始めたんだそうです。
同じ苗字なのに、我が家だけ墓地から少し離れているのはそのためです。
我が家の屋号は「いわばな」と言います。
へでは勝手に「岩花」と思い込んで、
「岩の花ってちょっとロマンがありそう」なんて思っていましたが、さに非ず!
「岩(山)の端っこ」だったんです。

へでやの斜め前にそそり立つこの岩山。
へでやを建てるときの基礎工事で積水ハウスさんから追加費用を請求されたいわく付きの土地です。
ご先祖は元々、人が住めないような小山の斜面にへばりついて暮らし、少しずつ居住面積を増やしていったのですね。
お墓の整備をした義父の父は、我が家の中興の祖といったところです。(^。^)
ファミリーヒストリーの世界ですね。^ ^


掃除が終わってよそ様のお墓を見せていただくと、工夫されているところが見えました。
こちらは舗装のようにしている地面。

こちらは上ほどではないけれど、結構厚く硬く敷き詰めた感じ。
どちらも草が一本も生えていなくて、とってもきれいでした。
お花もきちんと生けてあったので、日頃のお手入れもしっかりされているのでしょう。


こちらのお墓は、お花がとってもゴージャス❣️

近づいてよくよく見ると、菊の花以外は造花でした。
すごいワザです。造花オンリーでないところに気合いが感じられます。(^_^)


墓石が尖っているのは、戦死された兵隊さんのお墓だと祖母に幼い頃教えられました。
こちらの墓地にもいくつか建っています。

いつ行っても、手入れされています。
それだけに若くして亡くなった故人への家族の無念さが伝わってきます。
へでも、墓地に行ったらお水だけは入れるようにしています。
今も、世界では戦争で亡くなる人が後を絶ちません。胸が痛むことです。
こうしたお墓が今後、建たないことを祈りながらいつも墓地を後にしています。


ではまた。(^_^)

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