ヘデのおうちストーリー

旦那様はせっかちにも千の風となり、子育ても卒業したヘデが2015年10月に平屋を建て替えました。その成り行きと現在の生活雑記を綴ります。ブログ超初心者です。

義父の法要を終えて

義父の四十九日の法要が無事終わりました。
法要は葬儀同様すぐ近くのホールで行い、スタッフの皆さんに万事お任せ状態でした。
でも、そこに至るまでは結構いろいろな手続きやお勤めがありました。
まずは毎朝、仏様に差し上げるお膳を作ります。
葬儀の済んだ夕方、祭壇を組み立てにきた仏具屋さんからのレクチャーがありました。
ちゃんとテキストもあります。
御本尊様のお膳は一汁三菜、まだ修行中の義父のは一汁二菜です。
ご飯は炊き立て、お汁とお茶は熱々でと言われました。

ご飯はこん盛り、そして円錐状のものをその上に盛ります。
これの大きさで、毎日悩むへででした。
大きすぎると倒れ、小さいと見栄えが良くありません。
きっと義父は苦笑していたことでしょう。f^_^;
花入れは結構ボリュームがあるので、花をなんとか長持ちさせようと、
水切りしたり、葉っぱを落としたりと努力努力です。


そして、お供えのお団子を毎日一つずつ増やしていきます。
白玉粉ではなく、上新粉で作ってくださいと言われました。
白玉団子なら冷凍食品として売られていますよね。
それじゃダメ?と聞いたら、お師匠さんは苦笑い・・・・💦

上新粉はうるち米、白玉粉はもち米からできているのですね。
このこだわりは何???と思いながらコネコネ作りました。
同じ大きさにはならないのが、へでらしいです。
義父が肩身の狭い思いをしてなければ良いのですが・・・(^_^;)
初めの頃は大した量ではありませんが、
30日を過ぎた頃からは、総入れ替えでたっぷり必要になります。
時節柄、2、3日で総入れ替えです。
とうとうギブアップで、仕上げにこっそり食品用のアルコールを吹きかけました。
お義父さん、ごめんなさい🙏です。
仕様がないヤツと義父は呆れていることでしょう。(T ^ T)


そんなこんなで40日余り毎朝、義父に語りかけながらのお勤めでした。
義母は仏様より先には朝食をとりません。
へではしっかり食べてから義父宅に行ってのお勤めです。
心掛けの違いは歴然ですが、食いしん坊のへでを義父は許してくれるでしょう。

ご近所の方はもとより、以前お世話になっていたデイサービスの方々など、いろいろな方がお参りに来てくださいました。
義父の好物は日替わりで義母がお供えしていました。
賑やかな祭壇になりました。


そして法要が済んだ後は、祭壇が片付けられました。

何だか夢を見ていたような気分です。
義父がひょっこり襖を開けて入ってくるような気さえします。
義母は仏壇に義父の位牌を入れて、みんなと一緒になれたねと語りかけていました。
気丈な人です。


最後にお世話になっていた施設からは、スタッフ全員のメーセージと折々の義父の写真の入ったアルバムをいただきました。
義母は来る人皆にそれを広げて見せています。
こうして義母は心を癒やしているのでしょう。


公共料金などの引き落としを義父の口座から義母の口座に換えたり、義父の年金を止めて義母の遺族年金を申請したりなどと事務的な仕事も結構ありました。
義弟(といってもへでより年上です。)がよく動いてくれました。
義弟は昨秋、へでは今春、お互い職場から退いていたので、ウィークデイを自由に使えました。
これが第一線で働いていたならば、休みをその都度取っての役所、銀行回りになります。
結構ストレスフルだったことでしょう。
亡夫が亡くなった時は、へで一人でバタバタしたことを思い出しました。
義弟とへでがこういう立場になるまで義父は待っていてくれたのかもしれません。


義父が飲んでいた宅配青汁をへでが引き継ぎました。
新鮮なケールの青汁を瓶詰めにして週2回配達してくれます。

でも、このかわいい配達ボックスをへでやの玄関に置くのはちょっとまだ迷っています。
しばらくは、今まで通りの場所に置かせてもらいます。


つい最近、電力会社から電線の支柱の賃貸料についての知らせが届きました。
義母に聞いてもイマイチ分からなかったので、敷地中歩いて支柱を探しました。

これです❗️
義父宅とへでやの境目の斜面の一角にありました。
うん十年住んでいて、全く視野に入っていませんでした。
電力会社から土地賃貸料として毎年1,500円が振込まれていたらしいです。
今回、そうした契約の変更手続きも必要なんです。(^_^*)
いろいろあるものです。


次は初盆です。頑張らなくちゃね❣️


ではまた^ - ^

×

非ログインユーザーとして返信する